「ごめん恭子!」
保健室のベッドで手を合わせて謝まれば、恭子は何かその代償を欲しそうにした。
「はいはい、今度おごってあげるから」
「よーし」
代わりに差し出したノートをバッグに入れる舞。へこんだ水筒が目に入った。
「でも、別にどうってことないのよ」
「でも、疲れてたんでしょ?」
外はもう夕暮れだった。
「一時間で十分だと思ったのに、ずっと寝てるんだもの」
「あはははは……」
「あ、起きたんだ」
保健室に入ってきた俊雄と信吾を見て、恭子は舞にささやいた。
(木村君ね、舞が保健室にいるって行ったら飛んでいったんだよ……あんた寝てたけどね)
へぇ……とまどい。舞は、どう反応していいのか解らなかった。
「大丈夫?」
「平気平気。あたし丈夫だし」
「保険の先生もなんともないって言ってるし、大丈夫なんじゃないの?」
「寝過ぎて余計に体調が悪くなったりして」
「あはは……そういえば、今日お母さんが来るんだ、帰らなくちゃ」
ベッドから出る舞を心配そうに見る三人。
「大丈夫?」
「なんともないって」
「結白のお母さんって、いつも家にいないの?」
「うん。いつもは実家の祠にいるの」
「ほこら?」
舞は宙を見上げた。
「うーん、神社とか、社とかそういうものかな。碧き泉を祀ってるの」
蛇口をひねって滴る水を自らのその細い指に絡め取る。
「水よ舞え、集い疾れ」
その舞の声音は、それまでのものとは全く異なっていた。
「別人みたいだ……」
「かもね」
舞は苦笑いする。その右手には、螺旋を描く水しぶきがあった。
「あたしの家族はみんな、これくらいはできる。きっと誰にでもできることだと思う――時間を掛ければね。でも、それは護符が必要って条件付き」
「それができる、のが、舞さん……」
「そゆこと」
水の列は舞の体を走っていく。まるで動物のように。
「碧き泉――その洗礼を受けることができたから、あたしはとてつもない力を得ることができたの」
「洗礼……」
「それって、通過儀礼みたいなもの?」
「そんなに甘っちょろいものじゃないんだよね」
指を弾けば水は飛び、洗面所の上で形を崩して落ちた。
「うちの家系に生まれたら、一度は必ず洗礼を受けてみる……ちょこっとだけね。それは通過儀礼かもしれないけど」
「誰にでもできることじゃない……」
「って言うより、滅多に洗礼なんてできないはずなの。洗礼にはとてつもない苦痛が伴うし。それに、適正のない者には、死……」
死。その言葉の重さ。
「母さんも父さんも兄さんも、みんな試して、ダメだった。おじいちゃんは洗礼で死んじゃったっていうし、過去百何十年も洗礼を終えた人はいないんだって……それなのに、あたしはあっさりクリアしちゃった」
「舞……」
「運命、なのかもしれないな。嫌だけどね……」
舞は保健室の窓を開ける。風が吹き込み、橙色のカーテンがはためく。少しずつ、陽は暮れていた。
「……帰りたく……」
そのつぶやきは、風にかき消され、耳に届くことはなかった。
保健室のベッドで手を合わせて謝まれば、恭子は何かその代償を欲しそうにした。
「はいはい、今度おごってあげるから」
「よーし」
代わりに差し出したノートをバッグに入れる舞。へこんだ水筒が目に入った。
「でも、別にどうってことないのよ」
「でも、疲れてたんでしょ?」
外はもう夕暮れだった。
「一時間で十分だと思ったのに、ずっと寝てるんだもの」
「あはははは……」
「あ、起きたんだ」
保健室に入ってきた俊雄と信吾を見て、恭子は舞にささやいた。
(木村君ね、舞が保健室にいるって行ったら飛んでいったんだよ……あんた寝てたけどね)
へぇ……とまどい。舞は、どう反応していいのか解らなかった。
「大丈夫?」
「平気平気。あたし丈夫だし」
「保険の先生もなんともないって言ってるし、大丈夫なんじゃないの?」
「寝過ぎて余計に体調が悪くなったりして」
「あはは……そういえば、今日お母さんが来るんだ、帰らなくちゃ」
ベッドから出る舞を心配そうに見る三人。
「大丈夫?」
「なんともないって」
「結白のお母さんって、いつも家にいないの?」
「うん。いつもは実家の祠にいるの」
「ほこら?」
舞は宙を見上げた。
「うーん、神社とか、社とかそういうものかな。碧き泉を祀ってるの」
蛇口をひねって滴る水を自らのその細い指に絡め取る。
「水よ舞え、集い疾れ」
その舞の声音は、それまでのものとは全く異なっていた。
「別人みたいだ……」
「かもね」
舞は苦笑いする。その右手には、螺旋を描く水しぶきがあった。
「あたしの家族はみんな、これくらいはできる。きっと誰にでもできることだと思う――時間を掛ければね。でも、それは護符が必要って条件付き」
「それができる、のが、舞さん……」
「そゆこと」
水の列は舞の体を走っていく。まるで動物のように。
「碧き泉――その洗礼を受けることができたから、あたしはとてつもない力を得ることができたの」
「洗礼……」
「それって、通過儀礼みたいなもの?」
「そんなに甘っちょろいものじゃないんだよね」
指を弾けば水は飛び、洗面所の上で形を崩して落ちた。
「うちの家系に生まれたら、一度は必ず洗礼を受けてみる……ちょこっとだけね。それは通過儀礼かもしれないけど」
「誰にでもできることじゃない……」
「って言うより、滅多に洗礼なんてできないはずなの。洗礼にはとてつもない苦痛が伴うし。それに、適正のない者には、死……」
死。その言葉の重さ。
「母さんも父さんも兄さんも、みんな試して、ダメだった。おじいちゃんは洗礼で死んじゃったっていうし、過去百何十年も洗礼を終えた人はいないんだって……それなのに、あたしはあっさりクリアしちゃった」
「舞……」
「運命、なのかもしれないな。嫌だけどね……」
舞は保健室の窓を開ける。風が吹き込み、橙色のカーテンがはためく。少しずつ、陽は暮れていた。
「……帰りたく……」
そのつぶやきは、風にかき消され、耳に届くことはなかった。