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風雅、舞い - 第一章 予言と運命 (7)
「こりゃあ当分休みだな……」
 後ろを走ってくる巨大な犬は、廊下の壁にひびを入れながら走ってくる。まっすぐ走ることができないらしく、そのおかげで俊雄を支えながらの逃走でも追いつかれることはなかった。
「でも、時間の問題ね」
 舞は振り向き、目の前の化け物を睨み付けた。
「舞さん!」
 三人は振り向く。
「みんなは逃げて!」
 躊躇いがちに、三人はそのまま逃げていった。角に消えるまで、俊雄は後ろを向き心配そうな顔を向けていた。そして、悔しそうだった。
「たとえ木村君が怪我してなくても、こいつの相手はできないでしょ」
 犬は、舞の目の前で立ち止まった。犬が舞の実力を感じ取っているのか、それとも、舞がターゲットなのか。
 なんの理由も無く襲われるはずがない。何者かの差し金か……あの少年が思い浮かぶ。
 舞は、ひとつため息をついた。肩を落としつつ、洗面所に行き、蛇口を捻る。
 姿勢を正し、息を吸い、止めた。眼前に護符を構える。蛇口から、水が、ゆっくりと、舞の元に、登って、来る。
「我ここに念を持ち迸る力を一つに纏め我が力の写身と成す!」
 その声と共に水が勢いよく噴き出し、舞の体を包み込んだ。
「ギャヒャア!!」
 鳴き声にしては乱暴なそれを吐き捨て、犬は前足をもたげ、それだけで数百キロはあるであろうそれを振り降ろした。
「護る力我が前に!」
 衣のようになっていた水流が瞬時に壁となって舞の頭上を覆った。前足がそこへ突っ込み、そして鳴き声と共にすぐに引っ込めた。宙に舞う透明と鮮赤の水粒。
「あたしにも楽な相手じゃないか……」
 水の壁に裂け目が現れ、舞の顔を露わにした。その眉間に、血の流れが生まれる。舞は小さめの護符を取り出し、額に貼った。
「癒やしを我が元に……血の流れよ、時に傷を治し、時に休め」
 その言葉が血の流れを止める。だが、傷口は熱く、体力は想像以上に消耗していた。荒い息が、すぐ側の水流を乱すほどだった。
「ちゃんと休息はとったのにな……寝過ぎたかな?」
 才能だけでは勝てない。碧き泉がもたらす力には限界がある――もし真面目に修練していれば、その限界は大きく引き上げることができるはずだった。
 怠けてた。逃げてた。でも、こんな瞬間があるとは思わなかった。あたし、なんでこんなところで戦っているんだろう。
 縦に大きく広がった顎を見た瞬間、三枚の札を飛ばし、それを通過するように水が流れる。三角形の水流が顎を弾き、舞は大きく後ろへと跳ぶ。
 舞と犬の目があった。舞は苦笑する。どう理由をつけようと、力があるからこそ戦っている。戦えるからこそ、ここにいる。
「なんだかんだ言っても、あたしって好戦的かもね」
 犬は一瞬後ずさり、顎を引き、爪を廊下に引っかけた。感じて、舞は廊下に護符を投げ付ける。水流がそれを追い、廊下に水の槍が突き刺さりそれを避けて犬は足を引っ込める。立て続けて水槍が突き刺さっていき、それと共に舞と犬の距離は離れていく。
 肩に掛ける水筒へとおもむろに手を伸ばす。弾け飛ぶ蓋と共に現れた、清められた水。
「碧き閃光疾る道、見えない道を造り上げ、その弾丸よ我が前に集え」
 犬に対して半身になる舞。その前に三つの輪が現れ、その一番後ろに水筒の水が集まっていく。犬が、遠くで吠えている。何かを感じているのかもしれない。
「時をも凌駕する蒼白き閃光を我が前に現せ、何よりも速い碧槍と成りて我が力の偉大さを知らしめよ!!」
 舞の声が廊下に響きわたり、目の前の水が球形を形作りながらも波打ち振動する。その振動波がまるで校舎全体を揺らしているかのように空気が震え、鳴動した。
 負けじと吠え続けていた犬は、意を決した。舞目掛けて一気に廊下を走りだし、その巨体の動きで廊下が揺れる。それだけで窓ガラスが揺れるほどだった。
 だが、舞は臆しなかった。跳び退いたのも牽制したのも、これから使う能力を邪魔されないだけの距離を取るためだった。布石は十分だった。
 今のあたしは戦士。相手が誰だろうと何者だろうと関係ない、ただの野蛮な、狂戦士。遙か古代の遺物かもね……。
 苦笑いを消し、地響きを立てて迫ってくる毛玉を睨み付けた。
「自らを、解き放て」
 その低い声が引き金。水の塊は球から卵となり、先が細くなって護符の輪を一つずつ通り抜けていくと思った瞬間、水は吸い込まれ消えていた。瞬間、まさに蒼い閃光とでも呼べる一直線の細い槍が舞の元から犬の肩先まで届き、そして貫いた。
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