犬の背を突き破った槍は、廊下の天井を砕いて破片をまき散らした。宙に漂う破片に吹き出した鮮血が張り付いていく。肩の前からも勢いよく吹き出していたが、その返り血を浴びるほど舞は近くにいなかった。
距離は十分ある、傷は十分深い。安心感から、舞はその場にしゃがみ込んだ。犬も、左前足を震わせたかと思うと、そのまま前のめりに崩れていった。地響きがほこりを舞上げた。
「お互い一生懸命やったんだから、恨まないでよね」
そんな風に話しかける余裕が舞にはあったが、相方にはないらしく、相変わらず野太い声を上げているだけだった。その吠え声は、悔しさがにじみ出ているとも取れるが――まだ失ってはいない何かを感じさせていた。
「……まだやろうっていうの? あたしはいやよ、そんな死ぬまで戦うなんて古い考え方」
犬は立ち上がれない、そう確信する。完全に肩を貫通していた。犬が単に巨大になっただけなら、左肩が完全に砕けたはずだ。骨がなければ、動きようがない。両足を出して床に後ろ手を着いて、まだ弾む息をゆっくりと押さえ込みながら、警察なりなんなりが来るのを目の前の怪物と一緒に待つつもりだった。
「……え?」
だが、見ている前で犬は、よろめきつつ立ち上がった。左半身を真っ赤に染めつつも、その傷は小さくなっているように感じられた。事実、出血はもうしていないよう見えた。少なくとも吹き出すということはなく、また犬も比較的元気そうだった。
それを証明するかの如く、犬は大きく吠えた。まるで狼の遠吠えのようだった。とりあえず毛並みが茶色と白ではあるが。
「もしかしたら狐かもしんないわね」
そんな軽口を言うだけの体力しか残っていなかった。まさかこれほどまでに回復力が高いとは思わなかった。
完敗、だった。
「そりゃそうよね、あたしは全然努力してなかった。今日ここにいるのだって……運命かもしれない」
生まれてくるのも運命なら、死ぬのも運命。私は運命と戦ってきたんじゃない。逃げてきたんだ。だから今ここで、その運命に死の宣告を告げられようとしている。
犬が、舞を睨み付けた。舞は力無く下を向いた。
涙が、頬を伝った。
「橙炎連燃!」
舞は振り向いた。涙をたたえたその瞳の向こうに立つ青年――髪はぼさぼさ、黒いジャケットを羽織り、その体の周囲に五つの炎が浮かんでいる。
「燃炎連激!!」
その言葉と共に、五つの炎が揺れて、飛んでいく。舞の頭上を越え、自由な奇跡を描いて五つ同時に犬へと突っ込んでいき、炸裂した。炎が体全体を包み込み、叫び声を上げた。
「すごい……」
単純に、そう言葉がついて出た。自分と同程度か、それ以下かもしれない。でも、そう言葉が出ていた。
「立てるか?」
舞はすぐ後ろに立つ青年を見上げた。しゃがんでいると、さらにその背の高さが際だって見えた。汚いと言えば汚いが、ラフと言えばラフな姿を舞はまじまじと見ていた。
「え」
何も応えなかったからか、ふと気づくと、舞は抱きかかえられていた。
「これ持ってな」
青年が渡した空の水筒を胸に抱える。そして、未だ燃えさかる、だがそれほどダメージを負っているようには見えない犬に向き直った。
「言っとくけど、そんなに弱い奴じゃないよ」
「解ってるさ、だから逃げる。目眩まし食らわせるから目をつぶってろよ」
そう言ってから、右手を掲げた。左手だけで舞を抱きかかえる腕力は相当なものだろう。
「黄炎閃煌!」
その言葉と共に、青年の左手から肘にかけてを黄色い炎が包み込んだ。すぐ側の光があまりにもまぶしすぎて、舞は顔を背けた。勢いでそのまま青年の胸の中に顔を埋めた。
厚い胸板と汗の匂いを感じた。
「目をつぶってろよ」
何やってるのかな、あたし……そう思いながら、舞は目をつぶって、青年の胸の中に入ろうとした。
「閃炎瞬光!!」
まぶたの裏が明るく光り、犬の鳴き声が聞こえ、そして、体が揺れはじめた。
「化学実験室に行って!」
とっさに思いついて、舞は叫んだ。
「どこだそりゃ」
「渡り廊下渡って一階!」
「おっしゃ」
青年はさらに加速していった。
どーでもいいけど、乗り心地悪いわ、これ。
距離は十分ある、傷は十分深い。安心感から、舞はその場にしゃがみ込んだ。犬も、左前足を震わせたかと思うと、そのまま前のめりに崩れていった。地響きがほこりを舞上げた。
「お互い一生懸命やったんだから、恨まないでよね」
そんな風に話しかける余裕が舞にはあったが、相方にはないらしく、相変わらず野太い声を上げているだけだった。その吠え声は、悔しさがにじみ出ているとも取れるが――まだ失ってはいない何かを感じさせていた。
「……まだやろうっていうの? あたしはいやよ、そんな死ぬまで戦うなんて古い考え方」
犬は立ち上がれない、そう確信する。完全に肩を貫通していた。犬が単に巨大になっただけなら、左肩が完全に砕けたはずだ。骨がなければ、動きようがない。両足を出して床に後ろ手を着いて、まだ弾む息をゆっくりと押さえ込みながら、警察なりなんなりが来るのを目の前の怪物と一緒に待つつもりだった。
「……え?」
だが、見ている前で犬は、よろめきつつ立ち上がった。左半身を真っ赤に染めつつも、その傷は小さくなっているように感じられた。事実、出血はもうしていないよう見えた。少なくとも吹き出すということはなく、また犬も比較的元気そうだった。
それを証明するかの如く、犬は大きく吠えた。まるで狼の遠吠えのようだった。とりあえず毛並みが茶色と白ではあるが。
「もしかしたら狐かもしんないわね」
そんな軽口を言うだけの体力しか残っていなかった。まさかこれほどまでに回復力が高いとは思わなかった。
完敗、だった。
「そりゃそうよね、あたしは全然努力してなかった。今日ここにいるのだって……運命かもしれない」
生まれてくるのも運命なら、死ぬのも運命。私は運命と戦ってきたんじゃない。逃げてきたんだ。だから今ここで、その運命に死の宣告を告げられようとしている。
犬が、舞を睨み付けた。舞は力無く下を向いた。
涙が、頬を伝った。
「橙炎連燃!」
舞は振り向いた。涙をたたえたその瞳の向こうに立つ青年――髪はぼさぼさ、黒いジャケットを羽織り、その体の周囲に五つの炎が浮かんでいる。
「燃炎連激!!」
その言葉と共に、五つの炎が揺れて、飛んでいく。舞の頭上を越え、自由な奇跡を描いて五つ同時に犬へと突っ込んでいき、炸裂した。炎が体全体を包み込み、叫び声を上げた。
「すごい……」
単純に、そう言葉がついて出た。自分と同程度か、それ以下かもしれない。でも、そう言葉が出ていた。
「立てるか?」
舞はすぐ後ろに立つ青年を見上げた。しゃがんでいると、さらにその背の高さが際だって見えた。汚いと言えば汚いが、ラフと言えばラフな姿を舞はまじまじと見ていた。
「え」
何も応えなかったからか、ふと気づくと、舞は抱きかかえられていた。
「これ持ってな」
青年が渡した空の水筒を胸に抱える。そして、未だ燃えさかる、だがそれほどダメージを負っているようには見えない犬に向き直った。
「言っとくけど、そんなに弱い奴じゃないよ」
「解ってるさ、だから逃げる。目眩まし食らわせるから目をつぶってろよ」
そう言ってから、右手を掲げた。左手だけで舞を抱きかかえる腕力は相当なものだろう。
「黄炎閃煌!」
その言葉と共に、青年の左手から肘にかけてを黄色い炎が包み込んだ。すぐ側の光があまりにもまぶしすぎて、舞は顔を背けた。勢いでそのまま青年の胸の中に顔を埋めた。
厚い胸板と汗の匂いを感じた。
「目をつぶってろよ」
何やってるのかな、あたし……そう思いながら、舞は目をつぶって、青年の胸の中に入ろうとした。
「閃炎瞬光!!」
まぶたの裏が明るく光り、犬の鳴き声が聞こえ、そして、体が揺れはじめた。
「化学実験室に行って!」
とっさに思いついて、舞は叫んだ。
「どこだそりゃ」
「渡り廊下渡って一階!」
「おっしゃ」
青年はさらに加速していった。
どーでもいいけど、乗り心地悪いわ、これ。