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風雅、舞い - 第一章 予言と運命 (9)
 化学実験室。見渡せば古っぽい木製の棚の中にいくつものガラス製品が入っている。ある物は中に薬物が入ってあり、またある物はフラスコやビーカーなどであったりする。
 上の階の物理実験室などは新しいが、この部屋はまだ机も椅子も古びて傷だらけのままだった。
 その背もたれのない直方体の椅子に青年が座り、舞は一番きれいに見えるビーカーに水筒の水を入れていた。
「泉の水なのか?」
「そ、もう何年も前に汲んだのだけどね」
 その聖水も、数滴しか残っていなかった。あきらめて、舞は青年の方を向く。
「助けてくれてありがと――それも二度も」
「気にしなくていい。それよりも今は、奴をどうするか考えるのが先決だ」
「そうね」
 青年は右手を差しだし、舞はそれを握り返した。
「俺の名は雅樹、朴雅樹(ほうのきまさき)だ」
「私は結白舞。よろしく」
 わずかの、間。
「……やっぱり憶えてないか……」
「え?」
 雅樹は握手を解き、その右手で左脇を指し示した。
「んでこいつが――多分見えないだろうけど――柊穂香(ひいらぎほのか)だ」
 舞は、当然、きょとんとした。
「なんていうかな、俺のパートナーで、奥さんで、女神様ってとこだ。えっ、何?」
 一瞬その左脇に耳を傾け、その舞には聞こえない言葉に聞き入ってから、それを伝える。
「私からもよろしくお願いします、って伝えてくれって」
「穂香……さん」
 舞はまだきょとんとしたままだった。
「さて、作戦を練るとするか」
「私に考えがあるの」
 そう言って、舞は棚から硫酸や塩酸の瓶を取り出してきてテーブルに並べた。
「物騒なこと思いつくもんだな」
「さっき私の水の槍はあの獣の左肩を貫いた。でも、回復した」
「あいつのタフさは相当なもんだな」
「でも、絶対に回復しない物がある」
「脳か」
 意外とあっさり答えてしまって少しがっかりした。それほど頭がいいようには舞には見えなかったから。
「そのとおり」
「いや、穂香がそうだってな」
 また……。
 雅樹は人差し指をあげて、物知りそうに言う。
「脳には記憶や考え方が入っている、だからその部分が回復するってことは記憶や考え方が変わるってことで、そりゃまずい、から脳は回復しない――と、穂香は言ってる」
 何か、とても奇妙だ。まるで多重人格者のように――いや、本当の多重人格者とは違うのかもしれないが――振る舞っている、そう見える。
「俺にゃ難しいことは解らないけどな」
 雅樹は確かに、頭が良さそうには――正確には知識があまり多そうには見えなかった。だが、二度助けられたときの動きには十分な冷静さを感じさせた。取った行動も最善手と思えた。
「で、」
 と舞は継いだ。
「私はさっき力を使っている。あの犬の頭がもし良ければ、今度は確実にかわしてくる」
「その動きを止めるためにそれを使うってわけだ。もちろん俺も手伝わせてもらう――っと、なんだ?」
 また雅樹は脇を見て、話を聞き、会話をする。
「いや、俺はよく解んないけど……そうなのか? いや、俺は十分だと思うけどな……でもよ」
 その――おそらく――二人の会話は、舞をいらつかせた。あの犬がすぐにでも来るかもしれない、そういう状況だというのに。
「あんまよく解んないが、それよりも確実な方法があるそうだ」
「確実な方法?」
 舞はいらついて訊き返した。
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