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風雅、舞い - 第十五章 濁る澱み、清らかな血溜り (22)
「先に行かせちゃって大丈夫ですか?」
「彼なら大丈夫でしょ。屋根が崩れたって大丈夫だし。それに――その権利が、彼にはあるわ」
 彼の、生家。
 生家になるはずだった、家。
 家は丘の端、木々に覆われていない側に建てられている。舞は家を迂回してその端へと向かう。
「っ……」
 舞は足をすくませる。切り立った崖、眼下は雲海、落ちたら這い上がれない泥沼のようなそれが、手をもたげるように沸き上がり地獄へと引きずりこもうと覆い被さる。
 舞は二歩で十メートル下がり霧の塊から距離を取る。その霧は当然霧でしかなく、地面で形を崩しかき消えた。
 止まらない鼓動、流れる汗、荒ぶる呼吸。構えを解くことはなく、見えない敵を凝視する。雲だか霧だか分からないそれに、舞は心の奥から恐怖を感じて、総毛立っていた。
「どうしたの?」
「……えっ? え、いえ、なんでも……」
 そう、なんでもない。
 なんでもない。
 なんでもないんだって。
 自分に何度も言い聞かせる。理性的に考えれば分かるはず。あれはただの水蒸気の塊だ。むしろ自分の味方だ。自分はあの崖そのものに恐怖しただけ。それだって、あれだけの雲海、あれだけ水分の多い気体ならどうとでもなる。
 体がそれを、否定する。
 止まらない震え、肌にしっとりとこびりつく水分すら、思うままに操作できない。
「ねー、さすがに私一人じゃ入りにくいんだから……」
「はい、分かってます、分かってますから……」
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